福井 理が恋活に本気になるまで

体育会系男子の恋活 インストラクター・福井理の場合 プレリュードSS

 高校時代の陸上部の同窓会は、男だらけでむさくるしいことこの上ない。

 ジムでの仕事を終えて理が参加する頃には、ほとんど全員出来上がっていた。

「おー! 部活一のモテ男が来たぞー!」

 誰かが理を見て声を上げる。「おー、来たか」「遅いぞ!」と声が続いた。適当に挨拶していると、奥で親友が手を振るのが見えたので隣に向かう。

「久しぶりじゃん、タイチの結婚式以来だっけ」

「まぁな。なんだよ、理。仕事上がりなのにちゃんとしてんなぁ」

 半年ぶりに会う親友の言葉に理は肩を竦めた。

 理はシャワーを浴び、髪のセットもし直していた。細身のチノパンに、カットソー、ネイビーのカーディガンというカジュアルな服装だが、一点一点気を使って選んだアイテムだ。

「パーソナルトレーナーだから、ちゃんとするのも仕事のうち」

「へぇ?」

「俺の格好ひとつが収入に響くから」

 大学卒業後、理はジムのインストラクターとして仕事をはじめた。はじめのうちは、先輩トレーナーたちが立てたプランに基づいて、マシンなどを利用するお客さんへ声をかけたり、アドバイスをしたりするだけだったが、しばらくしてスタジオ講習を受け持つようになった。スタジオ講習をやると、受講者数による歩合で手当が出た。手当が基本給を上回る時も少なくなかった。毎日、終わった後に反省点をノートに記すだけでなく、他の人気インストラクターの講習を見学して研究した。

 すぐに理のスタジオ講習は人気が出た。

 勝算はあった。自分の見栄えを理は嫌というほど理解していた。学生時代、部活をしていれば女子生徒たちが理にきゃあきゃあと声を上げていたし、試合を見たという他校の女子から手紙やプレゼントをもらうのも日常茶飯事だった。

 もちろん、担当したメニューも工夫した。どんどんスタジオ講習を受け持つ時間が伸びていった矢先――。

(俺は、このままでもいいのか?)

 漠然とした不安に襲われる事件が起きた。

 理は、大学でも陸上を続けていた。高校から大学までスポーツ推薦で進学した。国体に毎年選抜されていたくらいには、才能もあった。だが、その先は――プロになるにも実業団に行くにも中途半端だったのだ。

 入学して間もなく、陸上を続けるのは大学までだと理は理解した。親もそれ以上期待をしなかった。

 何人かはプロになったし、実業団に入団した。

 その内の一人が、海外に挑戦するらしい。

 社会人3年目、理のスタジオ講習が軌道に乗り始めた頃だった。

 その頃、理はもっと自由にプログラムを組み、よりひとりひとりの体質や生活習慣に合ったトレーニングを提供したいと思っていた。しかしジムにはジムのルールややり方がある。理のやりたいことを叶えるには独立しかなかった。今まで考えなかったわけではないが体育会系一辺倒だった理に資金繰りや集客を始めとした煩雑な諸々は荷が重い。もともと、プロを諦めるほど安全志向なのだ。

 迷っていた理の心を後押ししたのは、元同級生の未知への『挑戦』だった。

 パーソナルトレーナーとしてのキャリアのはじまりだった。コツコツと貯金をし、個人でスタジオを用意し独立した。かなり無理をしたが、その選択は今でも間違いではなかったと信じている。

「競争厳しいんだよ? これでも」

「はー、でも、お前昔から後輩とかへの指導うまかったもんな。向いてるよ」

「ありがと。自分じゃ分かんないけどね」

 とりあえずビールを注文する。

「でも、なんか人数少なくない? これで全員?」

 ぐるりと見渡すと、個室の大きさに対して集まっている人数が少ないように思えた。

「いや、もうみんな結構帰ったって」

 ふたりの会話を聞いていた別の友人が、理に声をかけた。

「お前みたいに自由に時間取れないから」

「なんだよ、それ。俺だって毎日仕事してるよ」

「でも、フリーの人気インストラクターだったら9時-5時じゃないだろ。嫁がお前の載った雑誌見てたぞ」

 にやにやとつつかれる。頭を掻いてため息を漏らした。少し前、予約が取れないイケメンインストラクターとして取り上げられていた件だろう。

「タレントとか女優さんとか来るの?」

「はいはい、守秘義務があるんでそういうことは言えませーん」

「ケチだなぁ! 俺も美人と出会いてえよ」

「嫁さん聞いたら怒るぞー。絡むなよ、もう」

 かわしながらため息を吐く。すると、周囲の会話が耳に入って来た。――彼女にそろそろじゃないかって言われてる――もうすぐ子どもが一歳になって――結婚式の準備してるんだけど、お前どこまで手伝った?――。

(……もうそんな歳になったか……28だもんな……)

 なんだか無性に年を取ったような心地になった。

「俺ももう帰るわー」

 絡んできた友人がそう言って立ち上がる。

「悪いな、理。お前今来たばっかなのに。家族が待ってるからさ」

 片手で悪い悪いとポーズを取って、その友人が立ち去っていく。ぽかんと背中を見送っていた理は、思わず低い声で漏らした。

「……俺だって、実家には家族がいるっつーの」

 すぐ隣の親友には聞こえてしまったようだ。親友はクッと喉の奥で笑った。

「理、恋活してみれば」

「はぁ? 婚活するほど切実じゃないから」

 苛立ちのせいで随分ストレートな物言いになってしまった。

「そうじゃない。恋活。お前に必要なのは結婚じゃない。信頼できる恋人だ。今、カノジョいないんだろ?」

「婚活と何が違うんだよ」

「婚活は条件で相手を選ぶけど、恋活はそうじゃない、まずは恋愛だよ」

「なんでお前そんなこと知ってんの?」

「嫁さんとは恋活で出会ったからさ」

「マジかよ」

「運命の相手が見つかるかもよ」

 込み上げてくる嫌な思い出を振り払うように理が首を振る。

「運命の恋? 素敵な恋愛? そんなもの本当にあり得る?」

「お前は変わらないな」

 親友の苦笑する横顔も、記憶よりも年を重ねていた。


*  *  *  *  *  *


「ええと、今日は新規がひとりと、あとは継続……か」

 ひとりでやっていて大変な点は事務処理だ。受付や予約の調整。そのスタッフを雇おうと思ったけれど、結局その時間と手間を考えて、理はひとりでやっていた。

 新規客は気を遣う。以前のジムで理を気に入ってくれて、独立したこちらにそのまま移動してくれた客とは違い、理に対してメディアで取り上げられた有名なトレーナーとしての目を最初から向けてくる。

 それはプレシャーでもあったが、やりがいにもなった。

 新規客としてやってきた彼女はすぐ分かった。そわそわとドアを開けて入って来た、時間ぴったりに。

 彼女のそばに膝をつき、にこやかに挨拶をする。営業スマイルはいくらでもタダだ。

「こんにちは、はじめまして。インストラクターの福井理です」

 カウンセリングはコースの説明から入り、本人の希望を聞いていくのが基本的な流れだ。ここで出来ることと出来ないことを明確にしておかないと、後から揉める。

 彼女は熱心に説明に耳を傾けていたが、どこか自信なさげだ。

「トレーニングにはモチベーションが大事ですよ」

 理の提示するリーフレットを見ていた彼女がぴくりと反応する。

(何かきっかけがあって来たんだ)

 今までの経験が押し時を知らせてくれる。

「よくあるのが夏までに絶対ビキニが着たい、とかですね。何かそういう夢、ないですか?」

 彼女の髪がさらりと揺れる。

 取り立てて美人というほどでもないが、清潔感のある真面目そうな女性だ。

――綺麗になって素敵な恋がしたいです。

 微かに頬を赤らめて口にした彼女に、理は目を奪われ、一瞬息が止まった。

 はじめてはっきりと目が合う。彼女は自分の口にした言葉に驚いたように口に手を当てて、ややしどろもどろになった。

「素敵な目標だと思います。理想のプロポーションと一緒に、『素敵な恋』ゲットしましょう!」

 そう励ますと、彼女は林檎のように真っ赤になってしまった。

(素敵な恋……か)

 恥ずかしがる彼女を見ていたら、理も顔が熱くなるような気がした。


 理の初恋は中学生の頃だ。今でもはっきり覚えている、クラスの隅で休み時間に本を読んでいるような大人しい子だった。その子に告白されたのがきっかけだ。はじめは告白されたから付き合っていただけだったけれど、徐々にその子自身に惹かれていった。だから、中学生なりに、大事にしたくて自分に出来ることをなんでもしようと考えた。好きじゃない映画も一緒に見たし、彼女が読んでいる本の感想を伝えるために、活字を読むという行為にも取り組んだ。

 しかし、初恋は長くは続かなかった。学年が上がる時に「理くんの本心が見えない」と突然フラれたのだ。理にとっては衝撃的だった。本心? 本心ってなんだ? 大事にしたくて頑張ったのに、もっと頑張らないといけないのか?

 その後も、理に告白してくれる子は後を絶たなかった。理は彼女がいない時であれば、その子たちの告白を受け入れて、出来る限り大事にした。彼女がいれば優しく断ったし、初恋の反省を生かして新しい彼女たちを大事にしてきたつもりだった。

 それが裏目に出たのかなんなのか、理には分からない。

「私は理くんにふさわしくない」と言われるか、「あんたは遊び相手にはいいけど、本気になるにはリスク高すぎ」と都合よく捨てられるか、そんな恋愛ばかりだった。ある時、理は「自分には女運がない」という結論にたどり着いた。

 恋愛はあくまで幻想で、男女の人間関係をロマンチックに言い換えた幻なんだと信じるようになっていた。


 新規客としてやってきた彼女は、理の指示をよく守り、運動も食事のコントロールもきちんとしていた。パーソナルトレーニングは料金も高い。その分、結果に対して顧客の評価もシビアだ。そうなると当然、理の指示やトレーニングだけではなく、日々の節制など本人の努力も必要となってくる。

 彼女はそういう意味でも優等生だった。しっかりときちんと目的を持ってトレーニングに打ち込めば、大抵の場合結果につながる。理はただ道を示し、彼女の背中を応援しただけだった。

「はい、オッケー! お疲れ様! 今日もよく頑張ったね!」

 理の声掛けに、ウェイトの機械を動かしていた彼女がゆっくりと動きを止めた。汗を拭くためのタオルを差し出すと、にこりと微笑んで受け取ってくれる。

 ここまで真面目に取り組んでもらえると、トレーナーとしてはもちろん嬉しい。あとひと月ほどでコースは終わるが、もうすでに目標としていた体重や体形の数値の達成は間違いないだろうというところまで来ていた。

(素敵な恋をするために、か……)

 そんなに頑張らなくても君は綺麗だよ、と何度か口にしそうになって、理はそんな自分に慌てた。インストラクターとしての理性が押しとどめる。自分はプロのインストラクターだ。どんな相手でも客とは私的な関係は持たない。

 彼女は自信をつけるほど、理の目をしっかり見て笑うようになった。その度に彼女が遠ざかっていくように感じる。

 理は自分の変化に気づかないふりをしようとしていたが、難しかった。誘われていたら出ていた合コンも、なんとなく足が遠くなり、付き合いが悪いと文句を言われてようやく参加する程度になった。合コンでいつものように場を盛り上げても、いつも以上に白けたトキメキのない時間を過ごしていた。

 恋活に影響されたのか。『素敵な恋』を目指す彼女の輝きに影響されたのか。

 いつも理は考える。彼女がドアを開けて帰る姿を見送る度、自分が咄嗟に口にしようとしている言葉の意味を。

(……本当に、随分綺麗になったな)

 自信がなさそうに丸まっていた背中はぴんと伸び、迷いなく真っ直ぐと歩いていく。理は伸ばしかけた手を、自嘲しながら下ろすことしか出来なかった。


本編へ続く……