原口諒太が恋活に本気になるまで

「体育会系男子の恋活 営業マン・原口諒太の場合」プレリュードSS

「みんなちょっと手を止めてくれ! 新入社員を紹介する」

 企画営業部フロアに人事部の声が響いて、俺は手を止めた。

 そういえば、そんな時期であることもすっかり忘れていた。日々の忙しさに忙殺されて。

「今回、企画営業部に配属されたのはこの五名だ」

 皆一様に緊張した面持ちで並んでいる。その中に、彼女はいた。

 彼女は強張った顔でフロア内を不安そうに見回していて、だけど期待で溢れていることはその目を見ればよく分かった。ひときわ輝いて見えたから。

「例年通り、向こう三カ月は指導係をつけたいと思う。えー、まずは――」

 名前が読み上げられる。

 指導係につくというのは、正直評価のポイントも高いし手当もつくし、おいしいことは多いと思う。けれど皆、率先してやりたくはない仕事だった。

 世話焼きが性分の人間ならまだしも、俺たちは皆、自分の仕事で手一杯だ。自分の力で企画提案をして勝ち取り、成績を残していかなければならない。そんなところに、右も左も分からない新入社員を抱えたとあらば、よほどのダイアモンドの原石でない限りただのお荷物だった。

 皆、自分の名前が指導係として呼ばれると元気の良い返事をしながらも、となりの仲間にポンと肩を叩かれている。

 そして最後――彼女の名前が呼ばれ……。

「指導係は――、原口」

「え……はい!」

 予想外だったために慌てて返事をして、思わず手を上げる。となりの席のやつがプッと噴き出した。バツの悪い気持ちでちらりとだけとなりを見て、それから彼女を見る。目が合うと、深々とお辞儀をされた。

 きゅっと唇を閉じて俺を見ている。けれどすぐにうつむいて、少しだけ視線を泳がせた。

 それから手短に人事部と企画営業部の部長から話があったが、あらかた聞いていない。なんだかよく分からないが、落ち着かなかったからだ。この時の俺は多分……、指導係なんてものに抜擢されたことに気が動転していたせいだと思っていたんだけれど……。


 早速彼女は俺のとなりの席をあてがわれ、パソコンのセッティングを行っている。時折、マニュアルを凝視して固まっているので、

「分からなかったらなんでも聞けよー。ま、俺で分かるかどうかは自信ないけどな」

 と、明るく話しかけた。これはけっこう笑えない冗談で、俺はデスクワークが苦手だ。それよりも足を運んで顧客の元へ向かい契約を勝ち取るのが得意で、根っからの営業体質なんだと思う。

 それにしても、うちの企画営業部に入るなんてガッツあるよな、と、となりであくせくする細い体を見てしまっていると、バチリと彼女と目が合った。

「あ、分からないとこあったか?」

 取り繕うように聞くと、彼女は笑顔で首を振る。

 できました!

 と笑顔で言う彼女に、

「もう!?」

 と驚きながらとなりのパソコンを覗き込んだ。

「――確かに」

 嬉しそうな笑顔が初々しい。予期せずドキッとしたのは内緒だ。

「仕事、早いな。今後に期待大だ。じゃあとりあえず俺の補佐からってことで、今から送るデータ、企画書に盛り込むから手伝え」

 威勢のいい返事を聞いて、俺も仕事に専念することに決めた。


*  *  *  *  *  *


 バスケットボールの弾む音。バッシュが床に擦れて刻むキュッキュッという小気味よい音。合図を送る声。怒号、歓喜の声。

 練習中に耳から入る音が好きだ。

 それがあるほうが集中できる。皆の中で走っている。ドリブルをついてボールを奪われ、奪い返す。熱中しすぎて、

「何してる! それじゃファールだ!」

 と、コーチの声が飛ぶ。

 気がつくといつも、すべての音が遠くに聞こえる。自分の世界になって、周りが遠くなる。手首のステップを利かせてボールを放った。

 その瞬間――。

 音が戻ってくる。

「原口! 調子いいじゃないか」

 仲間が笑顔で俺の背中を叩いた。

「ああ、だな」

 休憩に入り、汗を拭きながらスポドリを流し込む。

 小学生の頃からバスケをしていた。ミニバスケのチームに入り、母親も熱心に送り迎えや応援をしてくれたのを覚えている。兄が勉強一筋で、スポーツには見向きもしなかったせいもあるのかもしれない。母はとにかく、息子と過ごせることが嬉しいようだった。

 中学は父の言いつけで私立中学に進学したが、そこでもバスケ部に入り続けた。高校では勉強に手は抜かないからという約束の下に、体育コースのある学校へ進学。大好きなバスケを続けることができた。三年生の時に先発センターとしてウインターカップに出場も果たしている。

 こうなればもちろん、大学でもバスケ一択しかない。勉強に手を抜かないと約束はしたが……正直なところ、バスケで頭がいっぱいだったのが真実だ。

 プロになりたい気持ちはあった。プロ選手の試合を観たり、動画で研究したり。けれどそこには壁がある。挫折したわけじゃないけれど、どこかで俺は……「好き」の気持ちだけでプレイしたいと思っていた。

 結果。プロの道ではなく、バスケの実業団がある大手企業に入社。

 いつも分岐点では自分で判断をして、悔いのない道を選んできた。満足もしていた。バスケも仕事も俺に合っている。ひたむきに走れる。夢中になれる。

 今でも父は、兄のように手堅い職業――兄は弁護士だ――に就いてくれることを望んでいるようだが、俺はここで充分だ。仕事でもバスケでも認められているし、必要とされている。

 仕事の成績は悪くないし、バスケだってうちのチームはかなり強い。

 ただ……。

 恋愛だけはあまり大きな顔をできないのが弱いところだ。

 興味があったのはバスケのことだけ。女性にはほとんど興味が湧かないまま過ごしてしまった。付き合った女性だって片手で充分に足りてしまう。足りすぎるほどに。

 それぐらい無関心だった。

 本気で好きにならない限り付き合う意味が分からないし、バスケと天秤にかける気には到底なれない。女にうつつを抜かしている暇があったら、シュート率を上げるほうが有意義、という考えで過ごしてきた。

 おかげで最近、母からは結婚を心配されてしまう有様だけど。

 そんなことを思い返していたら、コーチの声が飛んで練習再開になった。腰を上げて駆け出すとまた大好きな音の群れに包まれる。

 まだしばらく。このままでいいという気持ちで満たされた。


*  *  *  *  *  *


 それから数か月後、四半期の最終月の夜。

 企画営業部で売り上げ目標達成の飲み会が開催された。

「すみません! 遅れました」

 客先での話が長引き少し遅れて店に入ると、場はすでに盛り上がっていた。営業体質の人間が多いこともあって、飲み会になるとかなり盛り上がるのがうちの部署の恒例だ。

 空いている席を探すと、見慣れた背中が目に留まる。

「ここ、いいか?」

 聞くと同時に腰を下ろすと、彼女が大きく二度頷いた。ビールでいいですか、とすぐに気を回してくれるのに笑顔で返事をする。

 近くでどっと笑い声が上がり、話の内容も知らないのに俺も笑った。楽しそうな雰囲気だと自然と自分も明るい気持ちになるっていうのが俺の性格だ。別に気を遣っているわけではない。

「お前、飲み会参加するの歓迎会以来だよな? どう、馴染めそうか?」

 ややふんわりとした笑顔で彼女が微笑む。

「なら良かった。飲む量はあんまり無理するなよ。自分のペースで飲まないと楽しくないからな」

 そこまで言ったところで俺のビールが届いて、

「じゃあ遅刻魔の原口が来たからまた乾杯な!」

 と、近くにいた上司がジョッキをかざす。

「ちょっと! 俺、遅刻魔じゃないですよね!? いつもちゃんとしてますよね!?」

「はは、それを口実に乾杯だ」

 そう言われてしまっては、笑いに変わる。

 たぶんもう数回目だろう『乾杯』の声が飛び交って、俺もジョッキを掲げ、渇いた喉にビールを流し込んだ。

 彼女も軽く手元の飲み物を飲んで、やや俺のほうに体を向ける。それから仕事の話を始めそうになったので、片手を上げて遮った。

「それ、明日聞く。楽しむ時は楽しめ。いつもそんなに力入れてちゃ、続くものも続かない。だろ?」

 彼女は一瞬、きょとんとした顔をしたけれど、すぐにまた笑顔になった。それから、話題を探しているのか視線を四方へ泳がせる。意地悪をするわけじゃないけれど、その様子が可愛く思えてしばらく見守ってしまった。

 すると――。

「え? 俺の趣味?」

 突拍子もない質問に感じられて聞き返してしまったのだが、彼女はまるで名案だと言わんばかりに自信たっぷりな顔で頷く。

 これは参った。

「ぷっ……、はははは!」

 思わず大声で笑ってしまう。

 それにちょうど合わさるように、周りでも笑い声が上がった。

「ごめんごめん。けど、なんだその質問。見合いか?」

 彼女は、確かにと思ったのかみるみるうちに顔を赤らめる。これまたその様子が可愛く感じられて、あまりフォローする気になれなかった。恐らく、また少し意地悪に感じさせてしまっただろうけれど。

「見合いごっこなら乗るぞ。そうだな、趣味か。趣味は……、スニーカー収集。スニーカーとかバスケシューズとか、新作が出ると思わず集めるんだよな」

 それからしばらく、賑やかな雰囲気の中で彼女と話をしている間に飲み会が終わった。あっという間の時間が過ぎて驚いて時計を見る。別に、解散が早かったわけじゃない。こいつと話しているのが楽しかった……のか。

 そう気づくと、何やら胸のあたりがざわついた。

 残ったビールを一気にあおって立ち上がる。

「二次会はいつもの店なー!」

 いつも仕切っている同期の男が大きな声で叫ぶ。大体二次会へ行くメンバーは決まっていて、俺も例に漏れず参加するため店を出た。

 周りの様子を見て迷っていた彼女もついてきているのを視線の端で確認しながら、同期たちと馬鹿話をして歩いた。


「じゃあおつかれー!」

「おつかれさまでーす!」

 解散となる頃にはすっかり深夜を迎えていた。皆、ちりぢりに歩き出す。

 俺はタクシーを止めようとする彼女のとなりに行くと、

「おつかれ。飲み過ぎてないか?」

 明るく声をかけた。

 同じく明るい調子で『おつかれさまです!』と返してくるその頬は、酒のせいかほんのり赤い。俺の助言通りちゃんと自分のペースで飲みました、と答える顔には笑顔が浮かんでいる。

「優等生な部下だな。で、今からタクシー? 家どのへん?」

 彼女は頷いて簡潔に答える。

「あー、なら途中まで一緒に行くか。方向同じだから」

 少し驚いた彼女の前に出てタクシーを止めると、すぐに先に乗り込んだ。

「ほら、早く乗れよ。お前のほうが先に降りるから手前な」

 彼女はやや迷っていたようだったけれど、数秒後には俺のとなりに座っていた。

 タクシーが走り出し、さっきまでの賑やかさが嘘だったみたいに静かな空間になる。彼女は気を遣ってか、しばらくさっきの飲み会での話をしていたけれど……。

「ん……?」

 静かになったな、と思ってとなりを見ると眠っていた。

 慣れない席で疲れたんだろう。皆、やたら元気だしな……。そんなことを考えながら、ちょっと危なっかしく船を漕ぐ彼女を見つめる。

 すると――、こてんと俺の肩に頭が乗った。支えられて安心したのか、口元にわずかな笑みが浮かぶ。

 あー……、これはヤバい。

 すぐにそう思った。

 多分俺は――、新入社員として初めて彼女を見た時から気づいていた。

 きっと、好きになるだろうって。

 肩に乗った彼女の髪が頬をくすぐる。落ち着こうと静かに深呼吸をして、彼女から顔を逸らして窓の外を見た。彼女と俺が窓ガラスに映り込む。

 そうしてふと気づいた。

 俺は女性に興味が湧かなかったんじゃなくて、誰かを本気で『好き』にならなかっただけなんじゃないか……って。

 今すぐ彼女を揺り起こして『好きだ、付き合ってほしい』と伝えたくなる気持ちを堪えながら、頬をくすぐる彼女の髪の先に優しく触れた。

 いつかきっと、俺のものになれよ、と心の中で呟きながら。

本編へ続く……

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