白石卓也が恋活に本気になるまで

「体育会系男子の恋活 ロードレーサー・白石卓也の場合」プレリュードSS

 チームメイトとトレーニングジムを出ようとしていた時、女性の一団が視界に入った。

「お疲れ様でーす!」

 まるで練習してきたかのように、聞こえてきたその声がそろっていた。

 けれど、統一感があったのはそこまでだ。

 僕たちの練習拠点でいわゆる「出待ち」をしていた彼女たちは、いっせいに目当ての選手のもとへと駆け寄り始める。そんな光景を茫然と見ながら、思わず呟いていた。

「……テレビの影響力ってすごいんだね」

 先日、スポーツ番組でロードレースが取り上げられ、その一環でうちのチームも取材を受けた。

 僕も簡単なインタビューに答えた……ような気がするけれど、それきり頭から消えていた。かろうじて、先日放映があったことを聞いたばかりだ。

 僕の呟きを聞いたチームメイトが、呆れたように小突いてくる。

「他人事みたいに言うなよ。あそこでソワソワしてる子たち、みんな卓也目当てだろ?」

 チームメイトが指し示す先に目線をやれば、色めき立った声が上がる。

 ぶんぶんと手を振られて、反射的に笑顔で手を振り返した。

「ちっ、これだからモテるやつは……」

「でも僕、ろくなインタビューも受けてないけど」

「それ嫌味か? 『ロードバイクの王子様』って、わざわざテロップ付きで紹介されてたの、お前だけだぞ」

「何それ?」

「オンエア見てなかったのかよ?」

 どうもとんでもないキャッチコピーをつけられていたらしい。

 そんな会話を交わしていると、監督までやってきた。

「ほら、卓也、行ってこい。自転車競技のイメージアップは今やおまえにかかってるんだよ」

「ちょっと監督、冗談でしょう?」

「愛想良く頼むぞ!」

 ぐいぐいと背中を押され、そのまま女性たちの前へと押し出された――途端。

「白石選手! お疲れ様です!」

「インタビュー素敵でした! 競技も応援してます!」

「差し入れ、受け取ってください!」

 あっという間に囲まれてしまい、たくさんのプレゼントを差し出される。

「ありがとう、嬉しいです。これからも応援してくださいね」

 当たり障りなくお礼を言いながら、差し入れを受け取る。

 ニコッと笑うと、漫画のような歓声が上がった。


*  *  *  *  *  *


 大量の差し入れをどうしようかと悩んだ結果、実家に持ち込むのが一番だろうと思い至った。

 僕の生活はあくまでも競技中心。大量のお菓子や嗜好品、ましてや可愛らしい装飾品の類には少々困ってしまう。実家のテーブルにプレゼントを並べてみれば、想像よりもインパクトのある光景になってしまった。

「お前随分モテるんだなあ」

 しみじみとそう語る父親は、満足気なため息をついている。

「モテるって……テレビ効果だよ。こっちに分けておいたやつは多分食べ物だから、母さんにちゃんと渡しておいてね」

 近所づきあいに忙しい母親は留守だ。かえってそのことに安心していた。

「ちょっと父さん、聞いてる?」

「ん? ああ、父さんは卓也がテレビに出るほど立派になって誇らしいぞ」

「聞いてなかったでしょう。それに、テレビに出るのが僕の目標ではないんだけど……」

 思わず苦笑してしまったけれど、親にとってはわかりやすい実績のように映るのだろう。

 競技一筋で心配をかけてきたことを思えば、これもある種の親孝行になったのかもしれない。

「自転車小僧だったお前が、まさか女の人にキャーキャー言われるようになるとは思わないだろ?」

 冗談めかせて父親が言う。

 僕は肩をすくめて、リビングの一角に飾られた自分自身の写真を指さす。中学生時代の自分は、ピカピカのクロスバイクにまたがってカメラに笑顔を向けている。

「でも、初めてクロスバイクを買ってくれたのは父さんでしょ? あそこから始まったんだからね」

 小学生の時から、自転車に乗って「どこまで行けるか」という遊びに熱中していた。

 門限なんて破って当然、何なら捜索願を出されかけたこともある。クロスバイクを手に入れてから、それが悪化したことは言うまでもない。

「そのせいで俺がどれだけ母さんに叱られたか、お前、知らないだろ」

「……そうだったの?」

「父さんのせいで卓也には彼女ができない! ってな。心配してるんだよ、母さんも」

 二人の会話が目に浮かぶようだった。

 高校の時にはアルバイトを掛け持ちし、ロードバイクのエントリーモデルを自分で買った。レースに出場するようになって、いくつもの賞を取った。その頃にはもう、親も「卓也は本気だ」とわかってくれたらしい、のだけど。

 大学で自転車競技部に入って、ますます競技にのめり込んで。

 応援の言葉の合間に、父の言う「心配」が混じるようになった。

 心配されても仕方ない。それだけ自転車競技一筋で、わき目もふらない人生だった。

「だからなあ、息子が大人気ってのは気分がいいな。本当は可愛い彼女の一人や二人、いるんだろ?」

 父親が朗らかに笑う。

 ……二人いてもいいのかな?

 なんて聞き返したい気持ちを、ぐっとこらえる。とにかく嬉しいらしい父親には、このまま機嫌よく過ごしてもらおう。この話に突っ込んでしまえば、話題の着地点は見えているから。

 つまり、「で、いつ身を固めるんだ?」なんてセリフが出ないうちに、逃げるのが得策ってこと。

 僕は父親に合わせて朗らかに笑うと、定位置に置かれた赤いリードをさりげなく取り上げた。

「チャーリーの散歩、行ってくるよ」


 千切れんばかりに尻尾を振りながら、ボールを咥えたチャーリーがミサイルのような勢いで駆け寄ってくる。

「チャーリー、ストップ! ストップ……うわっ!」

 そのまま思い切りタックルを食らって、しりもちをついた。

 よだれでべとべとのボールが河川敷に落ちる。

 人を突き飛ばした張本犬は、澄ました顔で「褒め待ち」をしている。わしわしと頭を撫でまわしてやると、そのままテンションが上がったらしく、再びボールを差し出してくる。

 ……というやり取りを、かれこれ何度繰り返しただろうか。

「今日はもうおしまい!」

 くぅん、と可愛らしい声を出してくるけれど、その手には乗らない。

「たまには僕の話も聞いてよ、チャーリー」

 夕方の川辺には、涼しい風が吹いていた。

 快い疲労を感じながら腰を下ろせば、すぐに足の間に彼が座る。その頭をうりうりと揉みながら、僕は先ほどの父親の言葉を思い出していた。

「彼女とか言われてもさ、結局僕の最優先は競技なんだよ」

 これまでも好きになった女性はいた。

 けれど、遊びではないにしろ、その交際が「真剣」だったかと問われれば少し疑問だ。

 自分の中の優先順位はいつもはっきりしていて、自転車に夢中になるほど、恋人は二の次、三の次になっていたことは否めない。その順位が表に出てしまえば最後、僕に失望した相手にフラれるか、大事にできない罪悪感で僕から別れを切り出すか。

 どのみち、長続きしないのが現実だった。

「……最近はもう、恋愛とか面倒くさい、って思っちゃう自分がいてさ」

 これは秘密だぞ、と言うと、返事をするようにチャーリーが吠えた。

「いつか僕にも、競技と同じくらい大切だって思えるような女性ができると思う?」

 色よい返事を期待して、チャーリーに聞いてみる。

 けれど、彼の返事は「ウー……」という微妙な唸り声だけ。

「そこは良い返事をしてよ」

 そう言いつつも、どこか客観視している自分がいるのも事実だった。

「……ま、正直僕もありえないとは思ってるよ。一生独身かもなぁ」

 慰めるように、チャーリーが僕の手のひらを舐める。

 仕事は自転車、趣味も自転車、愛する存在は飼い犬のチャーリー。

(うーん、間違いない。いくら女性人気が出たって、これじゃあね……)

 ――一生独身。

 自分で言ったフレーズが、微妙に心に刺さった。

 自分のペース、自分のスピード、自分のロードを大切に思うほど恋愛は億劫だ。

 大切にできないのなら、軽々しく「好きだよ」なんてうそぶくべきじゃない。

 けれど、ここまで築き上げた自分に、新鮮な影響を与えてくれるような存在が現れたなら。

 その誰かに「愛している」と言える日が来るなら。

「もっと強くなれる気がする……っていうのは、ベタすぎる?」

 元気の良い「ワンッ!」という返事に、僕はいい加減黙ることにした。

 理想の相手なんて、そうそう都合よく現われてくれるはずもないのだ。

「さあ、帰るよチャーリー」

 腰を上げた途端、ボールを差し出される。

 ……僕の一番の相棒は、どうやら聞き役には向いていないみたいだ。


*  *  *  *  *  *


 ゆっくりと夏の気配が近づく6月初旬。

 テレビ放映の熱なんてこの頃にはすっかり消え失せていた。チームからすれば、それどころじゃない、という話だ。誰もが最終調整のためにピリピリしており、外野のことなんて考える余裕はない。ニュースで大きく取り上げられても、話題にするやつはいない。

 この時期に、トレーニング以外の何をしろっていうんだ。

 ……なんて気持ちでいたところに、密着取材の話が舞い込んできたのだった。

「卓也、記者さんもう到着してるぞ」

「あっ、はい! すみません、すぐ向かいます」

 時計を見れば、約束した時間を少々過ぎていた。

 どうやらトレーニングに熱を入れすぎてしまったらしい。

 ――ツール・ド・フランス出場決定に伴い、白石卓也選手の密着取材を行いたい。

 余裕のある日程ではないし、トレーニングだけに集中したいのも事実だったけれど……事前に送られてきた企画書から記者の真摯さが見えたことが、取材を引き受ける決め手となった。

 この時期、初めての舞台に立つときに見知らぬ人間の密着取材を受ける。簡単な決断ではなかったけれど、あの企画書にはそれだけ僕の心を動かすものがあったのだ。

 一体どんな人が来るんだろう?

 あの企画を書いた人なら、きっと良い取材になるはず。

 期待に胸を膨らませながら、ジム内の一角の休憩スペースへと向かう。飾り気のないスーツを着た女性が一人、どこか居心地悪そうに立っていた。

 彼女の肩のあたりに緊張した気配が漂っているのを見て、僕は明るい笑顔を作って声をかける。

「お待たせしてすみません!」

 驚いたように女性が顔を上げる。

 こちらこそ、と彼女が反射のように口にするのを聞いて、僕は思わず微笑んだ。

「いえ、あなたは時間通りですから。僕のトレーニングが伸びちゃっただけで」

 どうやら彼女は、結構緊張しているみたいだった。

 型通りの自己紹介をかわす中で、あの企画書を作ったのは自分だ、と彼女が言った。

「……あなたが?」

 はい、と彼女が不思議そうに頷く。それを聞いた途端、僕は思わず身を乗り出していた。

「取材の件、本当に光栄に思ってます。ロードレーサーって他のアスリートと違ってあまり知られていないし、密着取材で特集記事とか、すごく嬉しいです」

 僕の言葉を聞いた彼女は目を丸くして――心から嬉しそうに、子どものような笑みを浮かべた。

 さっきまでの硬い表情はすっかり消えて、僕の中の彼女の印象がまるきり変わった瞬間だった。

 弾む声音で、取材を引き受けてくれてありがとうございます、と語る彼女の顔から目を離せない。素直な反応に触発されるように、僕の顔の上にも笑顔が浮かんでしまう。硬質な文章で書かれたあの企画書から滲んでいた真摯さ、純粋さ……僕を引き付けた部分が、そのまま目の前に現れたみたいだった。

 当然だ。

 だって彼女が、僕を取材に引っ張り出した張本人なのだから。

「ふふ、ありがとうございます。僕もすごく楽しみだし、興奮してます」

 言葉は止まらず、口から滑りだす。

 ツールへの意気込み、トレーニングにどれだけ熱心に取り組んでいるか。

 まだ質問も受けていないし、これは密着が始まる前の顔合わせなのに――僕は彼女に話したくてたまらなくなる。どんな表情をして聞いてくれるのか、どんな熱意で言葉を打ち返してくれるのか、知りたくて。

 しきりに頷きながら耳を傾けてくれる彼女。その瞳はいきいきとしていて、トレーニングジムの蛍光灯のせいだけじゃない、確かな輝きが宿っていた。

 自分の限界と戦う競技に、並走してくれる存在。

 コーチとも、チームメイトとも、ライバルとも、ファンとも違う。

 彼女は彼女の仕事のために、けれど僕のことだけを(というのは思い込みがすぎるのかも)見つめながら、そばで走ってくれる存在なのだと、すぐにわかった。

 憧れの舞台での戦いが始まる、その直前。

 僕は驚くほど心強く――同時に、とても魅力的な――味方を得た。そう、確信していた。

本編へ続く……

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