奥村圭一が恋活に本気になるまで

「体育会系男子の恋活 フットサルコーチ・奥村圭一の場合」プレリュードSS

 誰もいなくなった夜のフットサルコートは静かだった。さっきまで少年サッカーをやっていてかなり賑やかだったせいか、より静寂が際立つ。

 人工芝の上をゆっくり歩いて最後の点検をしながら空を見上げた。今夜は特に月が綺麗だ。スポーツジム施設の屋上に作られたこのコートは雨ざらしだった。自然の中でスポーツをしている体感を、とのコンセプトらしいが人工芝には優しくないだろう。

 このジムに勤め始めて、気がつけばもう何年も経っている。スポーツを、仕事を楽しんでいる間に時間はあっという間に過ぎ去った。無我夢中でサッカーに明け暮れた日々も、今ではもう遠い昔のことだ。

「よし、問題ないな」

 声に出して最終チェックを終えると、俺はスタッフルームへと戻った。


「お疲れ様でーす」

「おう、お疲れ」

 営業時間も終了して、スタッフは皆それぞれに帰り支度を始めている。俺も今日の報告書を書いて終わりにしようとしていると、ひとりの女性スタッフが声をかけてきた。

「奥村さん、今日もお母様方に大人気でしたね!」

「ん? そうかな」

「おー、俺も見た見た。羨ましいくらいだったな。いつも通りだけど」

「でも今日は特に差し入れもらってなかった?」

「は~、そのスマイルでたらしこんでるんだろ? いいよなー、イケメンは」

 女性スタッフの発言を皮切りに、皆から口々に好き放題言われ始める。

「うーん、たらしこんでるつもりはないかな。良くしてもらえるのは感謝だけど」

 笑いながら答えると、男性スタッフが俺の肩をぐいと抱いて顔を寄せた。わざとらしく真剣な表情を作っている。

「おい奥村。ここだけの話、秘訣教えろよ。お前のコースめちゃくちゃ予約多いし」

「秘訣なんてないない」

「嘘。なんかあるだろ、ひとつくらい」

「ないって。ひとつも。ほら、離れろよ」

「お前なー! ケチか!? ケチなのか!? ひとり勝ちするつもりなのか!??」

「うっ、苦しいって! 降参降参!」

 肩を抱いたままふざけて首元を絞めてくる同僚に、笑いながら降参の合図を送る。首に回った腕を遠慮なくバシバシ叩くと、諦めたように離れた。

 スタッフたちは笑いながら俺たちを見ている。

「確かに奥村さんのコースだけいつも予約ぎっしりですからね! 奥村さんが結婚でもしたら、うちの売り上げガタっと落ちちゃうんじゃないですか?」

「それなら心配無用かなあ。予定も相手も一切ナシ! 一生、恋人はサッカーだからな」

「……もったいねー」

「宝の持ち腐れ」

「サッカー馬鹿?」

 皆の反応に笑いながら報告書をさっさと書き上げて荷物をまとめる。この手の話はあまり得意じゃないし興味もない。もう何年も恋人はいないし、サッカーをしていれば充分幸せだった。

「じゃ、お先に。お疲れ様ー」

 まだ背中を追いかけてくる言葉に笑いながら手を振って応え、仕事場をあとにした。


 職場から家までの帰り道、Jリーグの試合が中継されているのが街中のスクリーンに映し出されていた。思わず足を止めて見上げる。

 応援しているチームではなかったため録画でいいかと思っていたが、反射的に立ち止まってしまった。スポーツバーに行って盛り上がりながら観戦するのも好きだし、自宅でゆっくりとビールでも飲みながら楽しむのも好きだ。もちろん実際に観る試合に勝る興奮はないが、それでもサッカーと関わっていられるだけで満たされるものがある。

 ふと、さっきまでのフットサルコートでの光景が思い出された。子どもたちは本当に純粋にサッカーを楽しんでいる。もちろん、つらい練習に挑まなければならない時もあるし、試合に負ければ涙を流して悔しがることもある。それでもその心にあるのは、ただただ純粋に『サッカーが好き』という気持ちだ。

 俺だってそうだった。

 子どもの頃からサッカーが好きで、サッカーだけが好きで。プロサッカー選手になるのが夢だった。人一倍練習をした自覚はあるし、誰よりも強い気持ちを持っている自信もあった。

 それなのに俺には――、才能がなかった。

 打ち止めだった。

 頑張っても頑張っても、どれだけ効果的で計画的な練習を積んでも、超えられない壁があった。その壁は俺の前に高く高くそびえ立って……。

 今でもあの日のことは、昨日のことのように思い出される。


 それは、高校二年生のある日のこと――。

「どうして俺をスタメンに選んでくれないんですか……!」

 若かった。まだ自分の力を信じていた。夢があったし挫折を知らなかった。

 二年生になってもスタメンに選ばれず、俺は若さに任せて監督に直談判をしたのだ。 監督は俺の目を見て、しばらくの間じっと押し黙っていた。その間に目に涙がいっぱいに溜まって、早く答えを言ってくれ、俺をスタメンにする予定だと言ってくれ、と願った。

でも――。

「お前は優秀だ。誰よりもチームのことを理解している。ひとりひとりの個性も癖も能力も、すべて正確にインプット済みだ。それがどういうことか分かるか」

 俺は首を振った。

「つまりお前は、エースじゃないってことだ。冷静で正確な目を持つことと、プレイヤーとしての才能は比例しない」

 目の前が真っ暗になり、涙が滝のように流れた。

 監督はその後も静かに言葉を続けた。

「いいか、奥村。お前の能力、それも才能だ。誰もが持てるものじゃない。自分の力を正しく生かせ。三年生引退後、お前がキャプテンになれ」

 俺は認められている。でもエースにはなれない。エースでなければ俺にとってなんの意味もなかった。夢だったからだ。サッカー選手になることが夢だった。それが無理なのだと――、どうして思い知らなきゃならなかったんだろう。

 その後一週間、俺は仮病を使って学校を休んだ。もちろん部活も。

 部屋に引きこもって絶望ばかりを感じていたある日、庭から聞きなれたボールの音がすることに気づいた。窓から覗いてみると、年の離れた妹が俺のサッカーボールで遊んでいる。

「あ、お兄ちゃん!」

 俺に気づいた妹が大きく手を振った。太陽と、妹の笑顔が眩しい。弱々しく手を振り返すと、

「お兄ちゃん来てー!」

 ぶんぶん手を上下に振って、おいでおいでと俺を誘う。当然気乗りはしなかったし、今はサッカーボールすら見たくない気持ちだったけれど、断る理由が思いつかずに仕方なく庭に出た。

「ボールがねー、上手に蹴れないの。あっちのほうに飛んでっちゃうんだよ」

 そう言いながらボールを蹴り上げると、確かに。ボールはよろよろと明後日の方向へ飛んでいく。

「はは、最後までちゃんとボール見て。足はこう――、この流れでな」

「あ――!」

 丁寧にフォームと視線を教えてやると、妹の蹴ったボールは見事に真っ直ぐな弧を描いて飛んで行って……となりの家の敷地へ入ってしまった。

「ああ、マズイ。取りに行って謝らないとな」

「うん、やっちゃった。でもスゴイよね! 真っ直ぐ飛んだ!」

「そうだな。一発でなんて天才かもな」

「えー、天才はお兄ちゃんだよ! かっこいいサッカー選手だもん。わたしね、サッカーしてるお兄ちゃん大好き!」

「サッカー選手……?」

「うん! そうだよ。サッカーしてるお兄ちゃんかっこいいからサッカー選手! 学校でもねー、サッカー選手のお兄ちゃんみんなに自慢してるんだ。みんなねー、いいなあって言うんだよ! だからいっぱいいっぱい自慢するの」

 目頭が熱くなって涙が滲んだ。慌てて笑顔を作り、ボールを取りに行こうと促す。

 自慢の兄には程遠いかもしれない。もちろん俺はサッカー選手なんかじゃない。でも妹の目にはそんなふうに見えているんだ。

 どうして俺は『サッカー選手』でなければダメなんだろう?

 そう考えた時に思い至った。それは『サッカーが好き』だからだ。じゃあ『サッカーが好き』だけじゃダメなのか。エースでなければダメなのか。選手でなければダメなのか。プロにならなければダメなのか。

 一瞬で吹っ切ることはできないけれど、その答えはイエスではない気がした。

 俺は『サッカーが好き』だ。これからもサッカーに関わっていきたい。いや、サッカーのない自分は自分じゃない気がする。だからこそどんな形でもいいんじゃないか?

 エースでなくてもスタメンでなくても『サッカーが好き』でいられる。

『いいか、奥村。お前の能力、それも才能だ。誰もが持てるものじゃない。自分の力を正しく生かせ』

 監督の言葉を何度も頭の中で反芻して――。翌日、俺は朝食をかき込んで朝練に出かけた。


『ゴーーーーーール!!!』

 中継のスクリーンから熱狂の歓声が聞こえて我に返った。鼻の奥がツンとして、涙を我慢するために奥歯を噛み締めた。

 何度もそうしてきた。泣きそうになった時、奥歯を噛み締めてぐっとこらえてきた。後にも先にも人前で涙を見せたのは、監督に直談判をしたあの時だけだ。

 大人になればサッカーへの情熱も薄れて、もっと楽になるだろうと思っていた。でも今でもくすぶる。叶えられなかった夢はきっと一生、俺の中で残り続けるんだろう。

 それでも俺は『サッカーが好き』だ。

 翌日――。

「奥村さーん! 新しい営業さん、ご挨拶に来られてます」

「分かった。すぐ行く」

 うちで使っているスポーツメーカーの営業担当者が、別の人に代わるということは聞いていた。もう約束の時間か、と慌てて受付へ走る。

「すみません、お待たせして……!」

 駆け寄りながら声をかけると、彼女はすぐに深く頭を下げた。顔を上げるとこちらを見てにっこりと笑顔になる。自然と……、本当にごく自然と、俺も笑顔になっていた。

「チーフの奥村です。今日はわざわざありがとうございます」

 不思議な雰囲気の女性だった。明るくて笑顔が優しくて……、でもそれだけじゃない。何故だろう。話したくなった。

 挨拶をして、これからの仕事の話をして、試作品のシューズの話を聞いて。

 本当に、どうしてなんだろう。もっと話したい。聞いてもらいたい。笑顔で相槌を打ってもらって、彼女の話も聞かせてほしい。

 こんなふうに、誰かと自分のことを話したいと強く思ったのは初めてだった。自然と湧き上がる強い欲求に、思わず前のめりになる。

 彼女は笑っていた。

 俺は年甲斐もなく少しだけ照れて……、もっともっと伝えたくなった。知ってほしくなった。

『俺、サッカーが好きなんです。あなたは何が好き?』

 それは、サッカーばかりの人生に差し込んだ、もうひとつの大切な感情。

 その感情の名前を認識するのは、もう少しだけ先の話だ――。

本編へ続く……

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