早乙女隼人が同棲に本気になるまで 『猫のルームプレートが似合う家』

体育会系男子の同棲 大工・早乙女隼人の場合 プレリュードSS

 朝からの現場仕事を終え、早乙女建設の事務所に戻る。

「ただいまー」

 引き戸をくぐる隼人を、木くずと様々な溶液が混ざったような、いつもの匂いが出迎えた。

(あれ、静かだな?)

 隼人は広くない事務所を見渡す。

 すると別室になっている打ち合わせスペースから、社長が人を伴って出てきた。

 社長は隼人の父親だ。

「隼人、おかえり」

「来客だったのか」

 隼人は汚れた作業着の襟を直し、居住まいを正す。

「紹介がまだだったよな。茶和田ホーム支店長さんだ」

 そういえば前にもここを訪ねてきていた。

 隼人の父と同年代に見える支店長は、きっちりしたスーツを着込み、品のよさそうな笑みを浮かべている。

「息子さんですね。はじめまして。お噂はお父上から伺っています」

「はじめまして……」

 隼人は自分の手の汚れを気にしながらも、差し出された手を握った。

「早乙女建設さんとは何年か前に一度お仕事をさせていただいて。仕上がりの素晴らしさに感動しました。こちらほど腕のいい工務店はありません。それでまたぜひにと、折を見てお声をかけさせていただいているんですが……」

 支店長の話に、父親は苦笑いになる。

「うちはこの通りの小さな工務店です。地域のお客様からの仕事で精いっぱい。大手メーカーからの仕事を受けられる余裕は……」

 すでに何度も聞いた断り文句なんだろう。支店長は穏やかにうなずいていた。

「ではまた情報交換などさせてください。そうだ、隼人さんにもこれを」

 そう言って彼がかばんから出したのは、住宅展示場のチラシだった。

「この近くに新しくオープンしたんです。ぜひ冷やかしに来てください」

 それから支店長は事務所を出ていった。

「なんであの人の仕事受けねえの?」

 外まで見送りに出ていた父に聞く。

「うちは二年先まで注文がいっぱいだって、お前も知ってるだろ」

 父は壁の予定表を目で示した。

 確かに人員に余裕はない。だがその気になれば、なんとかやりくりできるんじゃないだろうか。

 隼人は頭の隅で考えた。

(これから人を増やしたら?)

 今の仕事にプラスして、住宅メーカーからの依頼をさばける体制を思い描いてみる。

 しかしボンヤリした想像は、ボンヤリしたまましぼんでしまった。

「なんだ隼人、あそこの仕事に興味があったのか?」

 自席に腰を下ろしながら、父親がいぶかしむ。

「いや、別に……」

(人を増やすったって、そんな簡単なもんじゃねえよな)

 隼人は頭を切り換え、次の現場の資料を開いた。


 隼人が大工になったのは単純に、建設会社の家の長男だったからだ。

 当然親からの期待もあったし、隼人自身も手と体を使った作業はわりと好きだった。

 手作業でのもの作りには安らぎがある。そして自分が作ったもので、誰かを喜ばせられたらそれもうれしい。

「棚の横板、注文通り追加した。また使ってみて、使いにくかったら言ってくれ。それからさっき言ってたドアの立て付け、とりあえず応急処置しておいた。今は部品がねえから今度用意してきて直すな」

 お屋敷の温室で、この家のお嬢様である恋人に、メンテナンスの報告をする。

「それから、これは棚の端材で作ったルームプレート。お前はこういうの好きかと思って」

 猫の形のルームプレートを年下の彼女に手渡した。

「名前を書いて部屋のドアに飾ってもいいし、この厚みなら表札にも使える。ってもこのお屋敷にはもう立派な表札があるか」

 隼人が言うと、彼女は悩みながらも首を横に振った。

 彼女いわく、ふたりの新居の表札に使いたいらしい。

「新居って……」

 彼女の言いたいことが分かり、甘酸っぱい思いが胸の中に広がった。

「そうだな。お前が選ぶ家なら、この表札がきっとよく似合う」

 そこで過ごす自分たちの姿を想像してみる。

 しかし想像上のふたりの生活には、モヤモヤとした雲がかかっていた。

(確かにこいつと一緒になれたら最高だ。けど……)

 家柄の違い、年の差。少し考えただけでも結婚には障害がある。

 どうしたの、と彼女が頬に触れてきた。

「むっ」

 恋人同士の距離は近い。透き通る瞳に見つめられ、自然と頬がほころんだ。

(そうだな、やる前にあきらめたら何もできねーよな!)

 もともと物事を深く考えるタイプでもないのに、最近の隼人は先回りして考えて、ネガティブになっていた。

「そうだ。家に興味があんなら、今度住宅展示場でも見に行くか? 知り合いから来いって誘われたんだ」

 思いつきで言ってみると、彼女はさらに瞳を輝かせた。


 週末の住宅展示場は、カップルや家族連れでにぎわっていた。

「不況って言ったって、やっぱり家を建てたい人はいるんだな」

 業界の活気を感じられて、隼人も同業者としてうれしい。

「……あ、見学です。ここの支店長さんからお話を伺って」

 受け付けで早乙女建設を名乗ると、担当者が住宅の仕様や構造上の話をいろいろと聞かせてくれた。

(そうか、こういう部分も規格が統一されてるのか)

 いくつかのモデルルームを見て回り、隼人は図面と照らし合わせる。

(確かにこれだったら工期も短く済むだろう。それにハウスメーカーからの仕事なら、客対応は全部向こうだ。俺たちは家を建てることに集中できる)

 メーカーからの受注仕事も、思っていたほどはハードルが高くないと感じられた。

(やってみたいな)

 そんな気持ちがわき起こる。

 仕事を増やしていって早乙女建設が大きくなれば、彼女との結婚の障害になっている家柄の違いも、自分の力で乗り越えられる気がした。

 そしてふと見ると、彼女はキッチンの棚をうれしそうにのぞいている。

「いいな、対面式のキッチン。リビングが見通せて、日当たりもいい」

 彼女も大きくうなずく。

 ――ここで隼人さんとお話しながらお料理したら楽しそう。大きいオーブンがあるから、ケーキを焼いて職人さんたちにも食べてもらえるね。

 彼女の中での未来図は、明るくクリアなものになっているようだ。

「そうだな、そうしよう」

 気持ちだけで返事して、隼人はそんな自分が微笑ましくなってしまう。

(俺はこいつと家建てて、一緒に暮らす。できるよな。きっと)

 そこへ見た顔がやってきた。

「早乙女さん、来てくださるような気がしていました」

 支店長だった。

「あっ、お邪魔してます!」

 すっかりデート気分だった隼人は背筋を伸ばす。

「すみません、来たって言ってもプライベートで……」

 支店長が彼女に気づき、二人が会釈を交わした。

「素敵なお連れ様がいらしたんですね。もしかして、結婚のご予定が?」

 こんなところにふたりで来たら、そう思われても仕方ない。

「いや、あの……将来的に、そうできたらいいなと……」

 ボソボソ答える隼人に、支店長は小さく笑って言ってきた。

「こんな素敵な奥様がいらしたら、早乙女建設も安泰ですね」

「いや、嫁より俺がしっかりしなきゃですよね。跡取り息子っていってもまだ半人前で……」

 彼女を嫁なんて言うのも照れてしまって恥ずかしい。

「お父様は職人としても経営者としても素晴らしい方ですから。その愛弟子に当たる隼人さんでしたら、何も問題ないでしょう」

 支店長がそう言って太鼓判を押した。

(そうだな。親父にしっかり学んで新しいことも頑張ろう! 俺はそれができる環境にいる!)


 そして帰宅した隼人はさっそく父親のところへ向かった。

「茶和田ホームの仕事を受けたい?」

 事務所で図面を引いていた父親が、難しい顔で眼鏡のブリッジを押し上げる。

「今すぐにって話じゃねえよ。これから体制整えてって話だ。もちろん、地域に根ざした仕事はこれからも大切にする。その上で、俺はもっと会社を大きくしていきたいんだ」

 普段にない熱弁を振るう隼人に、父親も真剣さを理解してくれたようだ。

 持っていたペンを置き、話に耳を傾ける。

「職人の育成には手間と時間がかかる。それを支えるだけの資金力も必要なんだぞ」

「そのために、まずはあそこの仕事を受けようって言ってるんだ。そしてゆくゆくは営業から設計、施工まで、自分のとこでできるデカい会社にしたい」

「…………。やりきる覚悟はあるのか?」

 眼鏡の奥の瞳が息子を捉えた。

 隼人はぐっと顎を引く。

「ああ。俺は親父と一緒にしっかりと早乙女建設を背負っていくつもりだ」

「それなら経営のことも学ばないとな。お前は大工としての腕はいいが、そっちはゼロからだからなあ」

「教えてくれよ親父。よろしく頼む」

「そうだな。けどその前に……」

「……?」

 何を言われるのかと身構える。

 父親が金歯をキラリと光らせた。

「今夜は祝い酒だ!」


 深呼吸し、温室のドアのノブを引く。

 あたたかな空気が顔にかかり、それから草と土の匂いが鼻に届いた。

 ドアはまったくきしまない。

「よし、これで修理完了だ」

 隼人は隣にいる恋人に笑いかけた。

 今日はこの前応急処置に留めていた、温室のドアを直しに来ていた。

 だが作業はすんなり終わってしまい、恋人と過ごす短い時間はお終いだ。

「んじゃ、あとで明細送っとくから。親父さんとお袋さんによろしくな」

 名残惜しさを感じながらも、隼人は帰りの荷物を確かめる。

 その拍子に荷物に入っていた本が、彼女の目に留まってしまった。

「ん、これか? 見ての通り、経営関係の参考書だよ。会社継ぐためには経営の勉強もしなきゃで……」

 聞かれて答えるものの、気恥ずかしい。

「え、付箋いっぱいって……。それはっ、仕方ないだろ! 覚えることだらけなんだ。と、とにかく!」

 隼人はなんとか年上の体面を保とうと努力する。

「いつかお前のために、この家にも負けない豪邸を作る! だから期待して待ってろよ」

 荷物を持って立ち上がった。

 すると彼女がぱあっと明るい笑顔になって言ってくる。

 ――あの猫のルームプレートが似合うお家にしてね!

「ええっと、やっぱそういうのがいいのか……。分かった」

 隼人の作るふたりの家は、どんなものになるのか。いつか来る未来に思いを馳せる。

(そうだな。ふたりで暮らせば、どんな家でも楽しいよな!)

 これが、早乙女隼人が彼女との同棲を考え始めたきっかけだった――。


本編へ続く……