早川駿介が同棲に本気になるまで 『愛想尽かされちゃったらどうしよう』
体育会系男子の同棲 配達ドライバー・早川駿介の場合 プレリュードSS
「おはようございます!!」
「ありがとうございました!!」
営業所の広々としたフロアに挨拶の声がこだまする。
配達ドライバーの朝は早い。早川駿介は腹に力を入れ声を出すことで、眠気を吹き飛ばそうとしていた。
朝礼は社訓の唱和にはじまり、挨拶の練習、連絡事項の伝達と進んで解散となった。
これからドライバーたちは各自の車両を点検し、荷物を積み込んで出発となる。
(よーし、今日も頑張るぞ!)
駆け足で行こうとする駿介を、さっきまで訓示を述べていたセンター長が呼び止めた。
「早川くん、調子はどうだい?」
「おかげさまで風邪ひとつひかずにやってます」
「そうかそうか! 君はいつも元気がいいし、お客さまからの評判もいいようだから、僕も期待しているんだ」
「ありがとうございます!」
(朝からセンター長に褒められるなんて幸先がいいなあ!)
しかも今日は恋人の働く会社に、定期配送の荷物があるはずの日だった。
(配達に行ったらきっと彼女の顔も見られるし!)
駿介は配達に使うトラックのところまで駆けていき、バックミラーで自分の姿を確かめた。
(髪も服装も問題なし! 大丈夫、今日もいい男!)
「いいなあ、男前は!」
隣のトラックを点検していた同僚が、笑いながら声をかけてくる。
「聞いたぞお前、配達先で美人の人妻を落としたんだって?」
さらにもう一台向こうのトラックのところにいる同僚がニヤニヤしているのを見ると、彼らは駿介のことをウワサしていたみたいだ。
「違うよ。確かに配達先で知り合ったけど、彼女は旦那さんとは別れてて、フリーだったから声をかけたんだ」
「そんなこと言って、お前のために別れたんじゃないのか!?」
「ないない! ホントに偶然!」
駿介が否定するものの、彼らの妄想は止まらないみたいだ。
「いいよなー、俺も美人の人妻とお近づきになりたい」
「分かる! 人妻ってなんかこう、影がある感じがたまらないよな」
「エロい!」
「エロいよなー!」
点検しながら、駿介は苦笑いになる。
「ちょっとー、俺の彼女で変な妄想しないでくれる!?」
「ずるいぞ早川! お前、顔もよくてセンター長の覚えもめでたくて。その上、元・人妻の彼女といいことしてるなんて!」
「ははっ、お前らも真面目に働いてたらいいことあるって!」
駿介はタイヤとバッテリー溶液の点検を終え、車内の点検に移った。
と、運転台に乗った時、駐車場の通路の向こうをトボトボと歩く同僚の姿が目に入る。
(あれ、浅田さん? なんだか元気がないような……)
彼は体育会系のノリの人間が多いこの職種で、例外的に優しくおっとりした感じの人だ。駿介より二年ほど入社が早く、入社当時はよく面倒を見てくれていた。
「浅田さん、元気がないように見えたけど何かあったのかな?」
車内の点検を終えてまだ外にいた同僚に聞くと、彼らが小声で教えてくれた。
「配達ミスが重なって、リーダーからしぼられたみたいだぞ?」
「浅田さんが? めずらしい」
普段丁寧な仕事をしている彼を知っているからこそ意外に感じる。
「まあ、人間だからミスもするよな」
「俺たちも気をつけようぜ」
同僚たちはそんなことを言い合い、配達に出ていった。
それから駿介はいつも通り仕事に励んだ。
朝から担当エリアをぐるっと周り、午前指定の荷物を配り終える。
フリーの荷物もある程度は片付けて、そろそろ昼食を取ろうかと思っていると、通りの向こうに同じ運送会社のトラックが停まっていることに気づいた。
(あのトラック、浅田さんだ!)
彼とは担当エリアが隣接しているから間違いない。
駿介は駐車場に車を止め、見つけたトラックの方へ向かった。
するとトラックのすぐ前にある公園で、浅田はコンビニ弁当を食べている。
気分転換だろうか。邪魔していいものかどうかと迷ったが、背中を丸めている彼を放っておけずに思い切って声をかけた。
「ここで会うなんてめずらしいですね! 公園でランチですか?」
ベンチに座り、うつむいていた彼が、駿介に気づいて顔を上げる。
「あれ、早川くんこそめずらしい」
「この辺に美味い弁当屋でもないかなと思って。この公園いいですね。日当たりがいいし、なんか穴場みたいだし……」
というか人がいない、いかにもさびれた公園だった。周囲はビジネス街だから、ここだけ時代から取り残されたようにも見える。
浅田が苦笑いで教える。
「この辺コンビニしかないよ。今日はたまたま天気がいいけど、この公園はビル風のせいでめちゃくちゃ寒い!」
「じゃあ車の中の方がマシですか」
「でも外の空気吸いたくて」
「分かります。食事の時くらい気分変えたいですよね。ってことで、俺もここで食べてもいいですか?」
すると浅田は通りの向こうのコンビニを指さした。
「なるほどー! それはいろいろと重なりましたね」
「うん、自分でもビックリだよ」
食後のプリンを大事そうにつつきながら、浅田は恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「けど、早川くんに聞いてもらえてよかった。はき出せてスッキリした」
「そうですか? 俺なんかで役に立てたならよかったです」
ベンチの隣に座る彼を、駿介は横目に見ながら頭の後ろをかく。
コンビニ弁当を食べながら聞いた話によると、ミスの原因は恋人に振られて落ち込んでいたからだそうだ。長く付き合っていた彼女に突然フラれ、何も手に着かない中ミスを連発してしまった。
浅田は空になったプリンを覗き込んで言う。
「ホント、早川くんも気をつけなよ? 仕事にかまけて彼女のこと後回しにしてたら、そのうち愛想尽かされちゃう。適齢期の女性は見切りを付けるのが早いから」
「そんなもんですかね……?」
駿介は弁当の空箱を閉じ、空を見上げた。
バツイチの恋人は、駿介との結婚を強く望んでいるようにはみえない。
むしろより結婚を意識しているのは駿介の方で……。
そう思う一方で、仕事が忙しくなかなか恋人に会えないのは、駿介も一緒だった。
配達ドライバーの仕事は残業が当たり前だ。どんなに荷物が多くても、配り終えなければ上がれない。
彼女との約束の時間に遅れたり、どうにもこうにも身動きが取れず、約束をキャンセルしてしまったことも今までにはあった。
「早川くんの彼女は何も言わないの?」
「え、それは……。優しい人なので、会えなくても『次に会えるのを楽しみにしてるね』って……」
あの言葉の裏で、彼女がどんな思いでいるのかは分からない。
やっぱり会えなければさみしがったり、不安になったりしているんだろうか。
そう考えると急に心配になってきて、駿介は胸ポケットのスマホを取り出した。
(この前会ったのはいつだっけ? 次会えるのはいつだろう?)
テキストチャットのやりとりを見返し、新しくメッセージを作る。
「何……?」
浅田が不思議そうにこっちを見た。
「ああ。浅田さんのアドバイスを受けて、さっそく彼女との約束を取り付けようかと」
「はは、そうしなよ。会わないのが一番ダメだから」
しみじみと言われた。
彼を励ましたくて声をかけたのに、どういうわけか駿介の方が心配されている。このままじゃいけないと思った。
そこで駿介は切り出す。
「ねえ浅田さん。浅田さんのミス、一緒に取り返しましょう!」
「えっ、どういうこと?」
「今日は早く配達を終わらせて、ミスした配達先へ謝りに行くんです。うちのノベルティを持って行けば喜ばれると思いますし、浅田さんの真面目な人柄をわかってもらえると思います!」
それから駿介は電話で上司に掛け合い、浅田の配達分をいくらか引き受けることができた。
「じゃあ車回してきて、分担する荷物を引き取ります」
「ありがとう、早川くん……」
「そんな、普段お世話になっているのは俺の方ですから」
そして二人は新たな気持ちで街にトラックを走らせた。
数日後――。
午後の荷物を積みに営業所に戻った駿介は、浅田に声をかけられる。
「ああ、早川くんお疲れ!」
「お疲れ様です!」
彼は数日前とは打って変わってにこにこ顔だった。
「その後どうですか?」
いい返事を期待して聞くと、彼は満面の笑みで答える。
「それがね。謝りに行ったおかげでお客さまとはいい関係を築けている気がするし、最近いい仕事してるってリーダーにも褒められちゃったよ。全部早川くんのおかげ」
「いや、それは浅田さんの頑張りじゃないですか!」
「いつも元気な早川くんを見習ってるんだよ」
それから午後便の荷物を取りに行くと、それが山のようにあってびっくりする。
「これ全部俺の担当分!?」
「そうなんですよー、早川さんのところ今日は大盛況ですね!」
仕分け担当がヘラヘラ笑って言った。
「うう……。いつもなら荷物が少ない曜日だから、お姉さんと約束してたのに……」
読みが甘かった自分を呪い、駿介は壁の時計を見る。
これは確実に、約束の時間には間に合わない。遅れそうだと連絡するべきか、それとも他の日に約束を変更してもらうべきか。
――ホント、早川くんも気をつけなよ? 仕事にかまけて彼女のこと後回しにしてたら、そのうち愛想尽かされちゃう。
この前聞いた、浅田の言葉が脳裏をよぎった。
(お姉さんから愛想尽かされちゃったらどうしよう……)
その時だった。浅田が駿介の担当分の荷物を自分の台車に乗せ始める。
「浅田さん!?」
「この前手伝ってもらった分、今日お返しさせてもらうよ」
「えっ、でも……」
「デートの日なんでしょ? リーダーには僕から言っておくから。ほら、早川くんは午後の配達頑張って」
情けは人のためならずとはこのことか。先輩の律儀な優しさにぐっと来てしまった。
「じゃあ……ありがとうございます! お言葉に甘えさせていただきます!」
駿介も急いで荷物を台車に積み始める。
心はすでに、愛する恋人の元へ羽ばたいていた。
(今夜会ってデートして……それから……)
先輩の助けで今日を乗り切っても、これからも忙しい日々は続くだろう。
本当はもっと会いたい。できれば毎日でも恋人の顔が見たいのに……。
それから駿介の胸にある思いが湧いてくる。
(結婚はまだ気が早いかもしれないけど、一緒に住むのはどうだろう? そうしたら毎日顔が見られるし、あの人を不安にさせる心配もなくなる)
これが早川駿介が、彼女との同棲を考え始めたきっかけだった――。
本編へ続く……