【シノバズセブン9,000文字小説】大河×菜々子「嫌い。だけど好き」

シノバズセブン 大河×菜々子SS「嫌い。だけど好き」

それはいつもどおりの昼休みだった。学園祭が終わり、ようやく平穏を取り戻した雨見学園。だけど教室に駆け込んできたある一つの足音によって、その平穏は物の見事に破られる。

未喜
「菜々子先輩、菜々子先輩! SOSです! エマージェンシーです! 助けて下さい! また会長とタイガー先輩が派手にやりあってるんですー!」
ヒロイン
「え? タイガーと藤丸先輩が!?」

助けを求めてきた未喜を見て、菜々子は思わず頭を抱えた。確か一昨日もタイガーは無理難題を言い出して、清司郎と揉めたばかり。今度は一体何を言い出したんだろう? とハラハラしつつ、菜々子は未喜と共に急いで生徒会室に向かったのだった。

大河
「だーかーら! コクサイシンゼンってヤツは大切だろ? この学校のためにもなるって!」
清司郎
「ツッコミどころはたくさんありますが、国際親善という目的は……まぁ、いいでしょう。ですがなぜそれがカレー大食い大会につながるのです?」
大河
「そりゃインドと言えばカレーだろ! セイちゃんだってカレー、大好きだろ? カレーは子供の味方だもんなっ!」
清司郎
「そのセイちゃんという呼び方はやめなさい! それに私達はもう子供じゃないでしょう」
大河
「いーや、セイちゃんはやっぱ子供の頃からセイちゃんだ!」
ヒロイン
「ちょ、ちょっとタイガー!?」

生徒会室に駆け込むと、大河と清司郎はまさに一触即発状態だった。鼻と鼻の頭を突き合わせ、至近距離でギンギンに睨み合う二人。菜々子は大河を、未喜は清司郎の体を後ろから押さえつけて、何とか二人の距離を離すことに成功した。

大河
「あ、菜々子、聞いてくれよ! セイちゃん、ひでーんだぜ。俺のナイスアイデアを即却下しやがって!」
ヒロイン
「それはまたタイガーが藤丸先輩に無茶を言ったからじゃないの?」
大河
「ひでぇぇーーっ、菜々子まで!」
清司郎
「その通りです、藤嶋君。早く大河君を連れ帰って下さい」

清司郎は眉間に縦皺を三本も作りながら、大河の前にビシッと人差し指を突き立てる。

清司郎
「それから大河くん、帰る前にもう一度、君に科した百か条の第57条を暗唱してみなさい」
大河
「は? 57条? 何だったっけ?」
清司郎
「百か条第57条、セイちゃんと呼ばない」

清司郎はどこからか生徒手帳を取り出すと、大河への百か条を読み上げ始めた。

清司郎
「大河くんへの百か条・第39条、すぐに怒らない。これも守れてませんね。第59条、人の話はちゃんと聞く。全然聞けていませんね。第74条、自分が悪いと思ったら素直に謝る。謝るどころか、自分がどれだけ他人に迷惑をかけているか、まるで自覚がない。ああ、それから……」
大河
「だぁぁぁーーっ! もういいっつうの! セイちゃんのわからずやっ!」

大河はグシャグシャと髪を掻き乱すと、まるで駄々っ子のような態度で生徒会室を出ていった。その場に一人残される形になった菜々子は、いたたまれない気分である。

ヒロイン
「あの……すいません、藤丸先輩! なんだかよくわからないんですけど、大河には後でよく言って聞かせますから!」
清司郎
「ええ、是非そうして頂きたいですね」

菜々子が深々と頭を下げるのと、清司郎のこめかみが引き攣るのは、ほぼ同時だった。清司郎を取り巻く空気がピリピリと尖っているのを感じて、菜々子の体はますます萎縮してしまう。

未喜
「でも、菜々子先輩が悪いわけじゃないんですから。ね? 会長も女の子には優しくしてあげないとですよ!」
清司郎
「何も藤嶋君を責めている訳では……。…………、そうですね。大河君への怒りを君にぶつけるのは筋違いと言うものでしょう」

未喜に指摘されようやく頭が冷えたのか、清司郎もそこで表情を和らげた。菜々子はもう一度、二人に向かって頭を下げる。

ヒロイン
「でもタイガーが先輩や未喜くんに迷惑をかけたのは事実ですから……。あの、タイガーは一体何を?」
未喜
「それが面白いんですよー! インドの元気先輩が現地のカレー職人と知り合って安く香辛料が手に入れられるから、カレー大食い大会をやろうって」
ヒロイン
「元気? それに……カレー大食い大会!?」
未喜
「品物が売れれば、向こうの職人さんも助かるから……ですって」
清司郎
「しかし、それをなぜ雨見学園内でやらなければならないのか、その必要性が分かりません。よって大河君の提案は却下です」

またまた清司郎の機嫌が急降下するのを感じて、菜々子の背中にはイヤな冷汗が滲んでくる。

ヒロイン
「あの、本当にすいません……」
未喜
「もう、菜々子先輩がそんなに謝らなくてもいいんですよー!」
ヒロイン
「でも……」
清司郎
「まるでそうしてると、藤嶋君は大河君の母親のようですね」
ヒロイン
「!」

何気ない清司郎の指摘に、菜々子はドキリとした。確かにこんな風に毎度毎度大河の尻拭いをするのは菜々子の役目になりつつあったから。

未喜
「いいですね! 菜々子先輩みたいなお母さん、僕も欲しいですー! タイガー先輩がうらやましい!」
ヒロイン
「……」

未喜はそう無邪気にはしゃぐけれど、菜々子は何がうらやましいのかさっぱりわからなかった。なぜなら菜々子は大河のお母さんじゃなくて恋人だ。むしろ女としては大河に甘えたいくらいなのに……。

その後、生徒会室を出た菜々子は大河を探して、裏庭方面に向かった。案の定、大河は芝生の上に寝転がりながら、しきりにスマホをチェックしている。

大河
「ったくよー……。相変わらずセイちゃんは頭が固いっつーの。困ったなー、元気になんて言い訳すっかな……」
ヒロイン
「タイガー!」
大河
「お、菜々子」

菜々子が駆け足で近寄ると、大河はいつものようにニッと口角を上げて起き上がった。菜々子は大河のくせっ毛に芝生がくっついてるのを見て、丁寧に掃ってやる。

ヒロイン
「ね、こんな所で何してたの?」
大河
「それがよー、俺の超スペシャルエクストラマグナムナイスアイデアをセイちゃんに却下されちまったから、次はどうしようか元気に相談しようと思って……」
ヒロイン
「ふーん、どれどれ……」

何気なく大河のスマホの画面を横から覗き見してみれば、メールボックスは元気の名前で埋まっていた。どうやら遠く離れた親友との交流は続いているようである。

大河
「な、菜々子。おまえ、どーすりゃいいと思う? あのスーパーカチンコセイちゃんを説得するいい方法ねえか?」

だが大河はと言えば、菜々子のそんな乙女らしい悩みにちっとも気づかないようだ。まるで子供のように唇を尖らせて、清司郎への不満をぼやいている。

ヒロイン
「えっと未喜くんから聞いたんだけど、カレー大食い大会のことだよね? でも学校がダメなら商店街でやるって言うのもありじゃないかな。確か年末の感謝セールを組合で話し合う時期だよね?」
大河
「あああっ、そっか! その手があったか! 菜々子、ナイス! やっぱお前こそ俺の正義っ!」

菜々子のアイデアを聞いた大河は、瞳をキラキラと輝かせて立ち上がった。一度こうと思い立ったからには、即実行に移さないと気が済まないのが大河である。

大河
「んじゃ俺、これからちょっとひとっ走り商店街まで行ってくるわ!」
ヒロイン
「え? ちょ、ちょっとタイガー、午後の授業は?」
大河
「それまでは戻るって! ヨユー、ヨユー! 軍艦島で鍛えたタイガー様の足、なめるなよ!」
ヒロイン
「タ、タイガーってば!」

菜々子の制止の声も聞かず、大河はまるで風のように走り去っていた。一方、その場にひとり取り残された菜々子は、ほんのちょっと泣きたい気分になる。

ヒロイン
「もう……、なんなの……」

菜々子の小さな呟きは、誰に聞かれることもなくそよ風の中に溶けていく。

こうして誰もいない場所で二人きりになっても、大河とちっとも甘い雰囲気にならない。

それどころか大河の態度は恋人になる前となった後では、それほど大差がなくて……。

これじゃあ清司郎の言う通り、自分はまるで『大河の世話を焼くお母さん』だ。

(こんなこと……思っちゃだめ……だよね)

大河の前で不安を口に出せないのは、10年前のあの事件があったから。あれ以来、菜々子は自分の気持ちを押し隠すことに慣れてしまった。高校生ならば当たり前の、ちょっとしたわがままを言うことさえ、今の菜々子は躊躇ってしまうのだ。

それからしばらく、菜々子はカレー大食い大会を開催しようと奔走する大河に放っておかれてしまった。それでも菜々子が大人しく我慢していたのは、今月末の三連休こそは大河と一緒に過ごせると思っていたからだ。だけど三連休が近づいたある日、その期待さえもあっさり裏切られることになってしまった。

『あ、菜々子? あのさ、俺、来月のバスケ部の試合でスタメンに選ばれてんだ。だからお前にスーパーカッコいいとこを見せるためにも、軍艦島で修業してくるわ! 俺のファイアーパワフル超ドリブルダンクシュート、期待しておけよ!』

突然大河からそんな内容のメールが届いて、菜々子は仰天した。菜々子にしてみればファイアーパワフル超ドリブルダンクシュートをカッコよく決める彼氏よりも、休日に自分のそばにいてくれる恋人の方が、よっぽど貴重である。

(もう、タイガーってば何考えてるの!? せっかくの連休なのに、私のことなんてどうでもいいの!?)

さすがの菜々子も、数日放っておかれた鬱憤は溜まっていたらしく、普段ならば『分かった。じゃあ気をつけていってらっしゃい』と物分りのよい返信を送っていたはずだが、この時ばかりは全く違う内容のメールを返してしまった。

『わかった。じゃあ私も行く! タイガーと一緒に軍艦島に修業しに行くからね!』


そして月末の三連休、菜々子と大河は都会から遠く離れた軍艦島にいた。青い水平線付近には、白いカモメが群れをなして飛んでいる。

嫌い。だけど好き。挿絵
大河
「いやー、青い空と海に白い雲! こんな場所に菜々子と二人きりで来られるなんて、俺は幸せだーー! これぞミラクルハッピー!」
ヒロイン
「…………」

大河ははるばるこんな場所までついてきてくれた菜々子に感動して、いつにも増してハイテンションだ。頬は真っ赤に紅潮し、先ほどからずっとフンフンと鼻息を荒くしている。

一方の菜々子はと言えば、大河と比べると明らかにローテンション。ついムキになって軍艦島まで着いてきてしまったが……。できれば連休はもっとロマンティックな場所でデートしたかった――というのが、偽らざる本音である。

大河
「よーーーしっ! じゃ菜々子のために、これからタイガー式サバイバル教室を開いてやるぜ!」
ヒロイン
「……え?」
大河
「俺の後について来い、菜々子! 俺が頼りになるってとこ、見せつけてやるからなーー!」
ヒロイン
「ちょ、ちょっと、タイガー!」

だけど案の定、空気を読むことを知らない大河は、菜々子を前にして張り切るばかり。乙女心をちっとも理解していない恋人に、菜々子はさらにヤキモキすることになったのだった。

大河
「じゃあまずは火の起こし方な! やっぱここは古典的に、木の棒で石をこする方法を試してみっか!」
ヒロイン
「タイガー、そんなことしなくても、リュックの中にマッチやライターが入ってるよ」
大河
「そこをだ! そこを敢えて自力でやることに意義があるんだ! 見てろよ、菜々子! ふぬぬぬぬぬぬ~~~~っ!」

大河は急にその場に座り込んだかと思うと、右手と左手の間に挟んだ棒をぐりぐりと高速回転させる。さすが自慢の馬鹿力……と思いきや、煙が出て来たのは火起こし棒の先ではなく、タイガーの手の中からだった。

大河
「うおっ! イテー! イテーーー! なんか手の皮が擦り切れて血が滲んできてるーー!」
ヒロイン
「ほら、タイガー、無理するからだよ。手のひら見せて。ちゃんと消毒しなきゃ」
大河
「わ、わりぃ……菜々子。……。……って、うおっ、染みる! 消毒液が染みるぜーー! 菜々子、もういいっ! こんなのツバつけときゃ自然に治る!」
ヒロイン
「もう、動かないでよ、タイガー!」

結局、ガキ大将のように消毒液をいやがるタイガーに、菜々子は散々苦労する羽目になった。

大河
「じゃ、次は食糧の確保な! 菜々子、この辺りで釣りでもしようぜ!」

そう言って、次に大河が連れてきてくれた場所は、島のはずれの小さな入り江。タイガーの手には元々用意されていた釣竿が2本握られてる。

大河
「よっしゃ! どーんとカジキマグロを吊り上げて、お前を満腹にさせてやる!」
ヒロイン
「ふふっ、期待してるね、タイガー」

元気よく腕まくりするタイガーに、菜々子もついつい口元をほころばせる。

その後、テトラポットの上で釣り糸を垂らし、二人で釣りをすること3時間後――

ヒロイン
「……ね、そんなに落ち込まないで、タイガー」
大河
「…………」

テントへと戻る途中も、大河は深く落ち込んだままだった。手にしたバケツには魚が10匹以上入っている。だがそれは全部菜々子が釣り上げた物なのだ。

大河
「ううっっ、まさか俺がボウズ(釣果0)で、菜々子が大漁だなんて……」
ヒロイン
「私のは多分ビギナーズラックって言うやつだよ。たまたま今日の大河は運が悪かっただけじゃないかな」
大河
「そ、それにしてもまさか釣りで菜々子に負けるなんて……。うう……っ」

可愛い恋人にカッコいいところを見せられなかっただけでなく、その恋人に男のプライドをバキボキへし折られてしまった大河であった。

大河
「じゃあ、次は飲み水の確保だな! 今度こそ任せろ、菜々子!」
ヒロイン
「うん、タイガー」

……。
…………。
……………………。

ヒロイン
「キャー、タイガー、タイガー! せっかく溜めたはずの水が全部零れてるーー!」
大河
「げっ! わりぃ、菜々子! このシート、穴が空いてたみてーだ!!」
大河
「またまた失敗しちまったが、今度こそ自信がある! 食糧の確保、その2だ! 菜々子、島を一周してキノコを採ってきたぜ!」
ヒロイン
「でもタイガー、なんかこのキノコ、変な紫色してない?」
大河
「ダイジョーブだって! 前に食べたことがあるけど、俺はこのとおりピンピンしてるから!」

……。
…………。
……………………。

ヒロイン
「もうタイガー! だから言ったでしょ、あのキノコはなんか怪しいって!」
大河
「イテ………イテテテテ、大きな声を出すな、菜々子! 反省してる! 俺はモーレツに反省してる! だ、だから薬を……薬を早くぅぅ~~……」

……かくして。大河のサバイバル教室は大河が暴走して、その度に菜々子がフォローする……という結末に終わった。

その後、薬を飲んで体調が戻った大河は、菜々子が念のために用意しておいたカップラーメンを美味しそうに頬張った。すっかり辺りが夕暮れ色に包まれる時刻のことである。

大河
「いや~、最初はどうなるかと思ったけど、菜々子のおかげで夕飯にありつけたぜ。やっぱ菜々子についてきてもらって正解だったな~」
ヒロイン
「…………」

焚き火を前にしながら、タイガーはホクホク顔だ。しかしそれとは対照的に菜々子の表情は先ほどから硬い。今日一日大河に振り回されて、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまったのかもしれなかった。

ヒロイン
「……私を軍艦島に連れて来てよかったの? タイガー」
大河
「おお、もちろん!」
ヒロイン
「それはお母さん的な意味で?」
大河
「は?」

そう質問されて、ようやく暢気なタイガーも、菜々子の様子がいつもとは違うことに気づいた。周りが暗くてよく見えないが、菜々子はどうやら唇を強く噛みしめているようだ。

大河
「お、おい、……菜々子?」
ヒロイン
「私……私だって本当はタイガーと一緒にいられればそれだけでいいと思ってたよ。でも……でもこんなのって、まるで……」
大河
「おい、ど、どうしたんだ? 俺、なんかしたか?」

菜々子の声がだんだん震えがちになっていって、さすがのタイガーも食べかけのカップラーメンを脇に置いた。腰を浮かせて困り顔で菜々子に近づくが、菜々子は大河の手をパシリと払いのけてしまう。

ヒロイン
「もういい! タイガーのバカ! 女の子の気持ちなんて全然わかってないんだから!」
大河
「な、菜々子っ!?」
ヒロイン
「タイガーなんて……タイガーなんて大っ嫌い!!」
大河
「!!!???」

とうとう今までの不満を一気に爆発させた菜々子は、その場を立ち上がって大河の前から逃げ出した。まさか菜々子に『大嫌い』なんて言われるとは思っていなかった大河は、ショックのあまり一瞬呆然としてしまう。

――が。

大河
「バ、バカッ、菜々子! こんな時間にこの辺りをうろつくな! 危ないだろ!? 戻って来い、菜々子! 菜々子ーー!」

あっという間に廃墟の中に消えて行く奈々子を心配して、大河も全速力で走り出したのだった。


(タイガーのバカ! バカ! やっぱり私はタイガーにとってお母さん的な立場でしかないの? 自分の世話を見てくれる女の子なら誰でもいいの?)

すっかり頭に血が上ってしまった菜々子は、暗い廃墟の中を闇雲に逃げ回っていた。冷静になればそんなことはあるはずないとわかっているのに、逆巻く感情のせいで自分自身をコントロールできない。今までこんな風に感情を爆発させたことなど、ただの一度もなかったのに。

(なんで私、こんなに怒ってるの? 元々一人は慣れてたはずでしょ? 我慢することには慣れてたはず……)

菜々子は大きくしゃくり上げながら、ようやく走るスピードを緩めた。泣くほど興奮したせいで心臓が激しく波打っている。胸元に手を添えてゆっくり呼吸を整えれば、ようやく頭の中もクールダウンしはじめた。

(タイガーのことを考えると、いつも私、こんな風に胸が苦しくなる。でもそれはタイガーのことが好きだから……。もっともっと私のことを見て欲しいから……)

菜々子は自分がこんな風に取り乱したことをみっともないな、と改めて思う。

だけどこんな風にみっともないのが恋かもしれない……と思う。

子供の頃、シノバスセブンを結成した頃の菜々子と今の菜々子は変わってしまった。あの頃はこんなに大河を好きになるなんて、思ってもみなかったから。

ヒロイン
「タイガー……」

そうしてタイガーの名をポツリと呟けば、自分が暗闇の中にたった一人きりでいることに気づかされる。さっき『大嫌い』と言って自分から逃げたくせに、もう大河の顔が見たくてたまらなかった。

あのお日様みたいな明るい笑顔で大丈夫だと笑って欲しい。

あの逞しい腕で、ぎゅっと抱きしめて欲しい……。

なんだかんだ言っても、やっぱり菜々子の心はタイガーを求めてるのだ。

大河
「バカ、菜々子! 絶対にそこから動くな! 今そっちに行くから!」
ヒロイン
「!」

その時だった。当てもなく廃墟の中を歩く菜々子の背後から、タイガーの焦った声が響き渡ったのは。

ヒロイン
「タイガー……? ……あっ!」

驚いて振り向いた時、廃墟の隙間から月光が差して、菜々子は自分がどんな場所にいるのか気づかされた。今まで暗くてよく見えなかったが、菜々子は大きく床が崩れたフロアの端に立っていたのだ。

ヒロイン
「きゃあぁぁーーーっ!」
大河
「菜々子!!」

不意にバランスを崩した菜々子は、そのまま暗くて深い穴の中に吸い込まれそうになった。だがそこは運動神経抜群の大河。大きくジャンプして突進してきたかと思うと、咄嗟に菜々子の手首を取って、その体ごと自分の腕の中に抱き込んだのだ。

大河
「バカッ! 何してるんだ!」
ヒロイン
「あ……、あ………」

間一髪の所を大河に助けられた菜々子は、眦に涙を滲ませながら頭上の大河を見た。すると大河は息を弾ませながら、切羽詰ったような表情で奈々子を見つめている。

ヒロイン
「た、タイガー、私……」
大河
「ホントもう、心配させんなよ……」
嫌い。だけど好き。挿絵2

――フワリ。

頬を真っ赤に染めた大河は、そのまま菜々子の頭ごと強く抱え込んだ。至近距離にいるせいか、トクトクトクトクと早い大河の心臓の音が聞こえる。

大河
「それに大体母親ってなんだよ、母親って……。菜々子が俺の母親のはずないだろー! 菜々子はオレにとってはそのぅ……なんだ、わかるだろ? お前はオレの命よりも大事な女だ!」
ヒロイン
「!」

さらに抱きしめられながら、大河の口からは熱い愛の告白が飛び出して。

それを聞いた菜々子は、とうとう大粒の涙をあふれさせた。

――ごめんなさい。タイガー。ごめんなさい……。

何度もそう謝る奈々子の背中を、大河はいつまでも優しく撫でてくれたのだった。

大河
「それにしても菜々子があんな風に癇癪起こすなんて初めて見たぜー。マジでびっくりしたー」
ヒロイン
「もう……何回も謝ったじゃない。それ以上つっこまないでよ、タイガー」

その後、満天の星が瞬く時間になり。菜々子はタイガーに寄り添いながら、夜空を見上げていた。

遠くからは、ザザーン、ザザーン……と静かな潮騒の音が聞こえてくる。場所的には全然ロマンチックじゃないけれど、タイガーがそばにいてくれれば、菜々子にとってはそこが天国だ。

大河
「まぁ、今回のことは俺も悪かったつーか………。ほら、ひとつのことに集中すると、周りが見えなくなるし……。あ、でも菜々子のことはマジで大切だと思ってるから! そ、そこんとこだけは絶対疑うなよなっ!」
ヒロイン
「うん、わかってるよ、タイガー」
大河
「それにさー、俺的には菜々子が癇癪起こしてくれたことが逆に嬉しかったっつーか……。うん、たまにはいいじゃん、そんな菜々子も」
ヒロイン
「え?」

しかも大河はあんなことがあったにも関わらず、いつも以上に優しい瞳で菜々子のことを見つめていた。訳がわからない……と言う風に首を傾げれば、大きな右手がそっと菜々子の頬に添えられる。

大河
「だってよー、お前ってあんな事件があってから、一人で我慢する癖がついたっつーか。その……滅多なことで他人に甘えないじゃん? 俺としてはそーゆーの、なんか寂しいって思ってたんだ」
ヒロイン
「タイガー……」

菜々子はタイガーの言葉に目を瞠った。自分でも自覚していたことだけど、まさか大河もその事実に気づいてくれていたなんて……。確かにああして癇癪を起こしたこと自体、菜々子が精神的にタイガーに甘えられるようになった……と言う証拠なのかもしれない。他の誰相手でもこんな気持ちにはなったりしない。菜々子にとっては大河だけが特別だから。

大河
「だからさ、これからもいつだってこのタイガー様の広い懐にどーんと甘えてきな! いつだって受け止めてやるからさ!」

さらにぎゅっと強く手を握られて、菜々子は再び泣き笑いの顔になった。

頬を伝う涙を拭いもせず、そのまま大河の胸の中に飛び込む。