新しい企画を作るのは常に楽しかった。毎回、何らかの手応えを感じた。だが、作れば作るほどに、そして世間でソーシャルゲームが流行し始めたのを大きなきっかけに、直感ではなく、経験則でものを考え始めるようになりました。
私達は『きちんと』作り始めた。
当初ひつじぐもでは、設定等についての作成は数行。そこから連想ゲームを始め、思い描くアイテム、雰囲気等細かな部分を、ディレクター以外のメンバー達が膨らませていました。イラストレーター、シナリオライターの裁量が非常に大きな仕事の仕方をしていたのです。
私含め社内の皆がゲーム会社あるいはそれに近い会社に勤めたことがないため、そのやり方はある種当然のように受け入れられていました。たとえばあるタイトルのPS Vita移植時には、開発会社の方から設定を渡すように言われましたが、渡せるものが何もない。立ち絵を見ながらHsさんにキャラクターの身長を改めて考えてもらったり、過去のシナリオを読みながら、スタッフが「こいついつも◯◯を食べているな。好物なんだな」と、逆に設定に落として渡すような案配でした。
しかし、ソーシャルゲームの制作等を多く経験するうちに、この方法での開発から縁遠くなっていく。なぜなら、多人数での開発、情報共有が不可能だからだ。
我々は徐々に、設定に従うことに飼い馴らされていった。(もちろん、この製作方式にはメリットがたくさんある)
そのうちに、これまでの自分たちのやり方は間違っていたのではないだろうか?
社内は極端な管理主義へ傾倒。
思えばこれが暗黒時代の始まりでした。
キャラクターの設定はクラウド型でデータベースで管理、プロットも詳細を詰めたものを用意するようになりました。私はシナリオにはあまり口を出さない主義だったはずですが、細かくチェックを入れるように。
アホキャラのSSを依頼されると「本当はこのキャラは文字など書けないが、仕事だから書く」というような、ガチガチに定まった、夢のない、そして今まで考えたことのないような思想が次第に蔓延し、そして――
とうとう感応時間がつくれなくなりました。
脳が、設定のないもの、下書きのないものを受け付けようとしない。それに気付いた時に愕然とした。
思えば、感応時間はふんわりとしている。夢なのです。だから、つくるときは本当に楽しかった。連想ゲームのようなものなのだ。キーワードを決める。モチーフを決める。世界を決める。そこは際限のない箱庭だった。ルールはなかった。
創作の楽しみを教えてくれる、希有なタイトルなのだ。設定をがっちり定めてしまったら、それは夢ではなくなる。色を持ち熱を持ち、匂いを持ち、自ら言葉を発し始める……。そんなリアルさは、求めていない。
3年の間、「感応時間を出そう」というのは、ずっとかほくさんと言い続けてきたことではあった。やめよう、ひとまず忘れよう、と思うことなどは一度もなかった。ただ……
今の我々にそれができるのだろうか?
今はもう、求められていないのではないだろうか?
前と同じクオリティのものがつくれるのだろうか?
不安は常につきまとう。
もはや意地に近い。売上がどうのとかいうより前に、使命感があった。感応時間は、ひつじぐもの始まりであり、ひつじぐもの歴史だ。感応時間を作れない我々は、果たして本当にひつじぐもなのだろうか。特に今年に入って、その気持ちは日に日に強くなる。
出さなければいけない気がする――
それは、我々の中にほぼ同時に宿った強い輝きだった。
企画書はできていたので、イラストと、キャラクターデザインはすぐに完成した。kingさんのおかげで、素晴らしい出来栄えだった。
これはイケる。久々の、強い手応えを感じた。感動だった。
肝心の台本は、かほく麻緒が執筆する。やたら今教育に熱心になってはいるが、彼女は感応時間2から、監修やメインシナリオを担当してくれた、ひつじぐもの誇るシナリオライターである。
予定が遅れた。他の仕事がおしたのと、期間直前に、かほくさんがスランプになったからだった。本人に聞いてみると、ずーっと同じシナリオを直している。
「檜原村へ行こう!」
私たちは昔から、企画が詰まると、高速に乗った。今回、東京から西を目指すことにした。
しかし、出発できるのだろうか。前日の夜まで心配だった。
なぜなら、かほくさんの仕事は当日朝まで山積みだったからだ……。
第3回へ続く──