恋の催眠騒ぎ第22話「初々しき味を求めて」

紫龍、私は遠い国へと嫁ぐことになりました

師匠、今なんと……!?　久しぶりに呼び出して頂けたと思えば、いきなり何をおっしゃるのです

……。私が嫁ぐ事実はもう何人たりとも変えることは出来ません

私が貴方をずっとお慕いしていたことはご存知のはず。それを事後報告とは

そこでです、紫龍。実は嫁ぐ前一つだけやり残したことがあり、そのためにお前を呼び出しました

（さすが師匠……私の話を難無くスルーしましたね）

和菓子が食べたい

は？　ではお作りになられてはいかがでしょう？

遠い国へと赴く前に、お前が若きし頃に作った、あの味を今一度食したい。あの初々しい春の香りを交えた味を

事情はよく呑み込めませんが、師匠が望むのであれば、お安い御用

まぁ、すごいわ、紫龍。光をも超える速度での餡の練り出し、見事です

ふふ、貴方が望むのであれば、餡で五重塔でも錦帯橋でも、何でもお作り致しましょう

貴方の美しい、布ひとつ身に纏わぬ白い肌も。餡を練ったぼかしの技術を用いれば、上気した頬さえも作り出……

結構です！

相変わらずつれませんね、師匠

今の私とお前は、あくまで師匠と弟子。それにそれは既に和菓子では無く、ただの見世物ではないでしょうか

……それもそうですね。それはそれとして、ささ、師匠それでは秋の新作和菓子。季節の香りを、いざ貴方のお口へ……はい、あーん

久しぶりに召し上がる私の味はどうですか？

ちがう

はい……？

紫龍、これ違います。これは私の食べたかった味ではありません

ではこちらは？

まぁ、先ほどより更に0.2秒も早い！　見事です、紫龍

さ、私の十八番を秋風にアレンジした栗きんつばです

……うーん。これも違う

では次、これはどうです!?

なんか見た目が違う

はい、次っ！

鹿の子は好きですが、気分じゃありません

ではこれは!?

どちらかと言うと秋の練切なら銀杏の黄色より、紅葉の茜色の方が……

せめて食べてから感想を下さい、師匠！

あら、ふふっ。ごめんなさいね、紫龍

ぜぇはぁ……。既に二十以上の上生菓子を軽く召し上がっていらっしゃると言うのに

どれも、美味しゅうございましたよ。ふふふ

では師匠……宜しかったのですか？

いえ、ダメです

がっくり

（何てことでしょう。このままでは、私の師匠が別の男に嫁ぐ前に、大変なふっくらふくよかさんになってしまう）

（は！　もしやそれで縁談が流れれば……、ああ、いけない！　一瞬とは言え、私は何て罪深いことをっ！）

確かに、舌先にほのかに残るこの余韻。洗練された味は、私がお前に教えたもの……。しかし私はあくまで、まだ初々しかった頃に、お前が作ってくれたあの味が食べたい

むちゃぶりです、師匠

せめて、嫁ぐ前にもう一度と望みましたが、所詮は儚き願いでしたか。叶わぬまま外国へ……しくしく

あぁ、どうか悲しい顔をなされないで下さい

材料のせい、ということは有りませんね？

勿論です。貴方に召し上がって頂くために、北は北海道、南は沖縄まで奔走して集めまわった食材です

（正確には私の弟子が、ですが）

では、あの初々しいような思い出の味とは何だったのでしょう？

私が未熟だった故の、若気の至りでしょうか。
……しかし私も、師事した手前、わざとミスをしてまで初々しい味を再現するなど、プライドと貴方を慕うこの心が許しません

そんなことをしては、めっ！　ですのよ、紫龍

（きゅーん！　師匠……相変わらず可愛らしい）

しかし、大切な師匠の最後の願い、放って置く訳にはいきません。初々しい味の秘密、探ってみなければなりませんね

ならば、ここは和菓子に拘らず、新しい物に挑戦してみるのはどうでしょう？　ふふ、そしてその試作を私が試食すると

さすがは師匠。では国外で様々なお菓子を学び、初々しい味を師匠にお届けしましょう

えぇ、私、せっかくなら紫龍の作った色々なお菓子を食べてみたい

では共に参りましょう

あら、どちらに？

私の馴染み客が休暇で近くの国に滞在しているとか。
あまり気は進みませんが、何かのきっかけにはなるやもしれません。行ってみましょう